メガヒヨの生息日記

メガヒヨ(観劇、旅行、鳥好き)のささいな日常

おフランス周遊旅行記2015 その9《トゥール・ホテル/レストラン編》

2016年04月13日 | メガヒヨのホリデイ


シュノンソーからトゥールに戻ったメガヒヨ。


今夜から二泊するお宿は駅の真ん前。その名もLe Grand Hotel Tours。


アンティークもののエレベーターで4Fのお部屋へ。
ダブルルームはベッドで部屋の中はいっぱい。
スーツケースを開けるのに、ナイトテーブルを移動させたりした。


バスルームは意外と余裕あり。
浴槽にものんびり浸かれた。


ミネラルウォーターがサービスでついているのがありがたい。
横にあるのは謎の調理器具。お惣菜でも温めるものかな?


レストランは好評なところを事前に調べておいた。
Grammont通りにあるシーフードレストランのLa Chope。


白いテーブルクロスなので、お店の格は高い。
しかし前菜、メイン、デザートの3コースが19ユーロからとリーズナブル!


このロケットと生ハムのサラダの盛り付けの美しさときたら。


お魚のソテーもソースとの調和が素晴らしかった。


デザートはメニューから好きなものを選べる方式。
アイスクリームも美味しかった。
これでお会計はハーフボトルのワイン込で27ユーロちょっと。
チップは気持ち程度に。30ユーロお支払い。


あくる朝。
本日は一日城見物。


ホテルの朝食レストラン。7時前なのでまだまだ空いている。


フランスのホテルにしては珍しく、焼きトマトが置いてあるのが嬉しい。
しっかり栄養を取って、本日の城めぐりに備えなきゃ。
てなわけでいよいよブロワに行くよ!!


おフランス周遊旅行記2015 その8《シュノンソー城編》

2016年04月11日 | メガヒヨのホリデイ


トゥールから在来線で30分、無人駅のシュノンソーに到着。
「6人の女主人の城」と称されるシュノンソー城の最寄り駅である。


駐車場にあった看板。テンションが上がってくる。


駅からお城へはこんな優雅な雰囲気の並木道を歩いていくよ。
5分くらいかな。


売店兼チケット売り場。チケットを買うのに10分ほど並んだ。


外には自動券売機はあったけど、いまいち買い方が分からず。


手売りにて無事チケットをゲットした後はいよいよお城へ!!


入り口では二頭のスフィンクスがお出迎え♪


お城に入る前に6人の女主人の一人に名を連ねるディアーヌ・ド・ポワティエの庭を散策。


ディアーヌ・ド・ポワティエは国王アンリ二世の愛妾。
1547年、当時48歳の彼女は二十歳下の国王からこの城を譲り受けた。
ただ美しいだけではなく才覚あふれたこの女性は、城の造園工事を実現し、シェール川に橋まで建てちゃった。
この城の原型を作ったというわけ。


お城を挟んで位置するのは、アンリ二世の妃カトリーヌ・ド・メディシスの庭。


アンリ二世亡き後、ディアーヌ・ド・ポワティエを城から追い出した彼女。
ライバル心からか、更に庭の造成と城の増築を進めた。ディアーヌが作った橋を二階に建て増している。


16世紀にシュノンソー城が建つ前、ここにはマルク家の城塞と水車というのがあった。
この塔はその名残。
外見はシュノンソー城とお揃いにリフォームされてしまっている。


まずはディアーヌ・ド・ポワティエの部屋から。
落ち着いた色彩のインテリア。


こちらはカトリーヌ・ド・メディシスの部屋。
カトリーヌとアンリのイニシャルが合わさったマークが見られるなど、女心を感じさせる。


こちらは六人の女城主の一人、ルイーズ・ド・ロレーヌの部屋。
夫のアンリ二世が暗殺された後、彼女はこの城に引きこもって暮らしていた。
喪に服す息遣いが伝わってくる。


当時のままに残っている天井に合わせて復元されたこの部屋。
重厚な調度品が整えられている。カーテンのタッセルひとつ取っても気を抜かない作り。


お城につきもののチャペルももちろん有り。
美しいステンドグラスは1954年のもの。
オリジナルは残念ながら第二次世界大戦の際に破壊されてしまっている。


ところ変わって。
こちらは階段を下りた場所に位置する厨房。
このお城は第一次世界大戦の際に病院として使われたこと折、ルネッサンス様式から近代的な設備へと改装された。


銅の綺麗なお鍋がまぶしい…。


これはギャラリーと呼ばれる、シュノンソー城の橋の内側。
ディアーヌが造った橋の上に二階建ての建屋を増築したカトリーヌ。
アンリ二世をめぐるライバル同士だった二人が、結果論とはいえこの美しい建築物を共同制作したのは興味深い。

 
ギャラリーの二階部分は文字通り展示室となっており、数々の芸術品や城の歴史の展示物がある。
この城そのものの美しさを称える芸術作品も数々見られる。


こちらは6人の女主人に関する説明。
ちなみに、この6人は資料によってメンバーが違う。

お城の説明では、ディアーヌ・ド・ポワティエ、カトリーヌ・ド・メディシス、ルイーズ・ド・ロレーヌ。
18世紀の知識人サロンのマダムであるルイーズ・デュパン、19世紀の資産家マルグリット・ペルーズ、
そして現在に至る所有者であるムニエ一族の令嬢シモーヌ・ムニエである。
別資料ではシモーヌ・ムニエではなくではなく、14世紀の財務官の妻カトリーヌ・ブリソネが数えられている。

個人的には、第一次世界大戦中にお城を病院として開放して自ら看護婦長を務めたシモーヌさんを推したいな。


お城のあちこちには生花のカサブランカが活けられており、いい香りが漂っていた。
というかむせ返るくらい(笑)

何でかというとこのシュノンソー城、とっても暑かった。
おそらく冷房設備が備わって無いと思われる。
昔の貴婦人がみんな扇子を持っていたというのがよく理解できる。
メガヒヨも用意してくれば良かったよ。

 
一通り見学したあとはバルコニーに出て庭とシェール川を見下ろす。
左にはカトリーヌ・ド・メディシスの庭園、右にはディアーヌ・ド・ポワティエの庭園。
ボートを漕いでいる人がいるなぁ。うらやましい。


お城から出て空を見上げると気球で古城見物なんて人もいた。
こちらもいいなぁ!
再訪の際は船か気球か、どちらか実現してみたい。


そんな感じでシュノンソー城の美しさを堪能した。

ところで賢明な皆さまはお気づきかもしれないけど、やたら人が少ないなーと思われなかっただろうか。
メガヒヨがお城に着いたのは夕方5時半過ぎ。
7時にはほとんど見学客は帰ってしまっていた。おかげ様で写真は撮り放題!!
夏季は8時まで開いているので、ゆったり見ることが出来た。
ロワール地方の象徴的存在なだけあって、昼間はかなり混雑するこのお城。
個人で訪れる方は夕方からの見学がおすすめである。(夏ね。冬は5時で閉まっちゃうから気を付けてね!!)


おフランス周遊旅行記2015 その7《ルルドからトゥール編》

2016年04月10日 | メガヒヨのホリデイ


ホテルで呼んでもらったタクシーに乗り、ルルド駅へ。


ここで10:37発のパリ行の電車に乗る。


TGVのチケットは事前にSNCFのサイトで購入しておいた。
レイル・ヨーロッパだと日本語で買えるけど、SBCFの方が割安。
送料無料で日本まで届けてくれるし。
写真のは刻印機。(Composeur)
フランスの鉄道は改札の代わりにこの機械が設置されている。
うっかりチケットに刻印し忘れてしまうと罰金を取られるので気を付けよう!!


ホームでチューしてる列車を眺めつつ、自分の乗る列車を待つ。


来ました、来ました。TGV!
乗るのは卒業旅行のツアー以来だから、XX年ぶり(笑)


本日は長旅なので、奮発して一等車を予約。
まずは乗り換え地点までの二時間半。読書などで時間をつぶしつつ過ごす。
車内販売で買ったサンドイッチは6.2ユーロ。日本との物価の差をひしひしと感じる。
味はそれほど期待しない方がよろしい。


乗り換え地点のボルドー駅。時刻は13時15分。
日本と違い、毎日同じホームから電車が発車する訳ではないので、電光ボードで確認をしなくてはいけない。
乗ってきた電車の到着が少々遅れたのですごく焦る。


電車が来たはいいけれど、車両の表示が分かりにくい。
どれが自分の乗る13号車なの?
ホームには一応どの車両がどのあたりに止まるという表示はあるのだけど、表における進行方向がどちらだか分からない。
電車の中を覗き込んだら内扉に車両ナンバーが表示してあったので何とかなったけどね。


時刻表での乗り換え時間は19分有ったのだけど、遅れもあったしかなり危ない橋だった。
何とか席に落ち着いた瞬間に発車。間に合って良かった。

ガロンヌ川を渡った際にサン・ミッシェル教会やサンタンドレ大聖堂が見える。
時間に余裕があったら、ボルドーでも一泊してワインを楽しみたかったな。

ちなみにこのボルドーからサンピエール区間も3時間弱ある。今回も乗り心地を優先し、一等列車に乗車したメガヒヨ。
とはいえ4人のボックス席だったので大変狭かった。あちらの方は足が長いから遠慮なく伸ばしてくるし。
つくづく日本の進行方向むかいの新幹線が懐かしく思えたのであった


二回目の乗り換え地点であるサンピエール。
ここからはTGVではなく在来線で。


普通電車とはいえ、なかなかの乗り心地!
こちらはフランスに軍配。


10:37にルルドを出発し、16:20に無事トゥールに到着!!


歴史を感じさせる美しいトゥールの駅舎。
予定通りの時間に着くことが出来たので、ホテルに荷物を預けてさっそく城見物に行くことにしよう!! 


おフランス周遊旅行記2015 その6《ルルド完結編》

2016年04月04日 | メガヒヨのホリデイ

ろうそく行列から明けた朝。
この日は10:00にはホテルを出て次の街トゥールに向かわなくてはならない。


ホテルで朝食。団体さんが内側で食事をしている一方、個人客のメガヒヨは窓辺の素敵な席に案内していただく。
昨日に引き続きありがたや。パリでのGacktさんより良い待遇(笑)


昨夜のろうそく行列後は賑やかだったポー川ほとりも、朝は静か。


出発前にもう一度だけ聖域に立ち寄る。


今朝も大きなミサがある模様。
数多くの団体が集合している。


ミサの予定はホテルなどに置いてあるルルド新聞で確認できるよ。
さすが宗教の街。こういう情報誌まで行き届いている。


昨日は気づかなかった、もう一か所の水汲み場を発見。


どうやらお持ち帰り専用蛇口みたい。


昨日のみたいにお皿もついていないし、これは汲みやすい!!


そんなわけで4本お持ち帰り。500mlペットボトルってことで総重量2kg。
まだまだ旅の始まりなのに体力が試される(笑)


本日のマサビエルの洞窟はどんな感じかな? 混んでいなければぜひ近くで見たいなぁと思ったのだけど。


お坊様の説法中。ここは礼拝堂としての役割もある模様。


洞窟より先に進むと、祈りを捧げる献灯台が。


1メートルを超えるような大きいろうそくも灯されている。


ホテルの売店で売られていたのは、ここに献上されるためだったんだね。


さらに奥に進むと、Piscines沐浴場があった。
病気やケガの方はこちらで泉の水に身を浸すことが出来るのだ。
写真には写ってないけど、多くの方々が順番を待っていた。

 
洞窟付近から大聖堂後方を望む。
19世紀に起きた奇跡をきっかけに、洞窟のある岩山の上に大聖堂が建てられた。
自然と人工物の融合があちこちに見かけられる。
石でできた壁のすきまから、もともと自生していた植物が這い出て花を咲かせている。


巨大な建築物といえば、地下にある聖ピオ10世バジリカ大聖堂も忘れてはならない。
こちらは聖域の前庭にあたる場所に位置している。


スロープを下っていくと、巨大なコンクリの柱が何本も見える。


中は巨大なアリーナ。


20世紀半ばに出来た聖堂というだけあって、キリスト像も近代美術のデザイン。


柱には古今東西の聖人の肖像画が。


わわ。イケメン発見!!(笑)


こちらは写真。近い時代の方みたい。
そういえばマザーテレサも最近聖人認定されたっけ。
いわゆる非科学的な現象、つまり奇跡を起こすのが列聖の条件と聞くけれど、
立派な行いの実績だけじゃダメなの?と思ってしまう。
でもそうしたら、世の中聖人であふれかえってしまうか。 


時間に余裕があったので、聖ベルナデット博物館にも立ち寄ることが出来た。
入場は無料。


ベルナデットの生涯に沿った展示。
1844年ルルドの粉ひき屋の娘として生を受けた彼女。


1858年 貧しさの底にいたベルナデットは14歳。
洞窟の近くで薪を集めていた彼女は聖母に出会う。
聖母は数回に出現の後、泉の場所を示したという。

そのころのルルドの風景。
城塞はあれど、今の賑やかさはなく静かな村といったところ。


それほど昔ではない頃の方なので、身に着けていたものが今でも残っている。


靴などを見てもとても小柄な方だったことがうかがえる。
腐敗せずに美しさを保っている彼女のご遺体だけれど、ルルドではなく
ヌヴェールのサン・ジルダール修道院の大聖堂に安置されている。


手のひらサイズのロケット。魔女っ子アニメの変身グッズみたいで可愛い。
ベルナデットは贈り物などは受け取り拒否したという話なので、どういった経緯の品物かは不明。


大聖堂建設中の写真が展示されていた。
ヨーロッパを訪れると中世に建てられた歴史ある聖堂ばかり目にするので、新鮮な気持ちで眺める。


バジリカ大聖堂の建設写真も並んでいた。
大掛かりな土木工事を経て、建築工事にかかっている。

19世紀に貧しい少女が目撃した「奇跡」。
スペインのファティマの奇跡もそうだけれど、このピレネー地方ではよくマリア様が出現するなぁ。
まぁ科学的に説明はつかなくとも、彼女は間違いなく何かを見たのだろうね。
そして結果として、多くの人の心を刺激し経済を動かして、町は大きく発展した。

メガヒヨは決して信仰深い人間ではなく善男善女の列に加わる気も無いけれど、こういうのも良いのではと思う。
聖ベルナデットは100年以上たってもなお地域の人々の暮らしを支えて、遠方の信者さんの希望をつないでいるんだからね。